himonaruyo’s blog

メンヘラに強い人の雑記。読書 アルコール

どこまでがイジリでどこからがイジメなのか。カジサック ニューヨーク

タイトル通りのお話です。

何か最近そういう話題多いですよね。

カジサックが評論家の宇野常寛氏を怒らせてしまったり、少し前ではお笑い芸人ニューヨークがニコニコ配信者のパンツマンさんに失礼なことを言ったり。

持論になりますが、そのイジリの受け手が、不快に思った時点でイジメと変わらないと思います。

ノリだから~とか、お笑いの基本だよとか言われますが、その前に人間関係の基本というものがあるでしょう。

他人と対話する中で、相手をいじる形で冗談を飛ばすことはあります。

それでも、相手が嫌な顔をしたらすぐにやめるし、謝るべきですよね。

相手の嫌がることをしないのは、良い人間関係を作る上でマストでしょう。

よく炎上させてしまう芸人さんの発言を見ていると、「多少不快に思われても、これがお笑いだし、場の為にこうするしかないんだ!」と思っているような気がしてきます。

確かにオーディエンスの為にはそうすべきかもしれません。

ですが、その前提に共演者に対してのリスペクトが全くないのはどうなのでしょうか。

嫌な気持ちになっているのを分かっていながら、何度もいじるというのは、相手に対して全く敬意がないですよね。

最高に面白いイジリ芸は、いじられている人もすごく楽しそうにしている気がします。(あくまで個人的な意見です。)

芸人である前に人間なのですから、相手を思いやる気持ちは大事にしてほしいものです。

1日の価値を何倍にも増やす方法

1日は24時間。四次元の生き物が見てたら違うと言うかもしれませんが、人はそうですよね。

今回の話は、何も1日を30時間に増やす方法をお教えする、というものではありません。

24時間の使い方で、それ以上の価値を産み出せていけたらいいですよね?

用は生産性の話です。

そこにライフハックの鍵があるんです。

あなたが体験することは、あなたが持つ時間の中でしかできないことです。

でも、体験でなくとも、「知識」として学ぶことはできませんか?

確かに体験したほうが、よりはっきりとした輪郭を持った「生きる上でのツール」になります。

でも、一日中アクティブに行動できる人なんてきっといないですよね。

だから本を読むべきなんです。

どんなジャンルのものでも、著者の人生観、価値観があらわれています。

例えばあなたが夜寝る前の一時間を使って、スティーブ・ジョブズの伝記を読みます。

それを一週間続けて読み終えた時、どんなことが起こっているでしょうか。

ジョブズが自身の経験で何を学び、そこからどう行動して、何を手に入れたか。そういうことが勉強できているはずです。

寝る前の一時間を7回使っただけで、一人の人間が成功していくまでの過程を見ることができました。

かなり有意義な時間だと思いませんか。

そんな風にして1日の価値を高めることができます。

今日はそんな回でした。

最後に初代ドイツ帝国宰相ビスマルクの言葉です。


「愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ」


昔のすごい人も、知識を大切にしていたようです。

やりたいことがあるならそこへ真っ直ぐに進むべきですが、その時に指針となるのが知識です。

知識の引き出しを多く持つことは悪いことではないはずです。

フリーターの方が得する世の中ってこわい

今時サラリーマンになる方が儲からない。

これなんかやばいですよね。そんな世の中気持ち悪くないですか。

僕は実際にそんな感じです。フリーターとしてちょろちょろ働きながら、資産運用したり、文を書いていたりすることで儲けている。

たいした才能もないのにですよ?

まあ、頭だけは悪くなかったので、金の作り方を色々勉強しましたが。

時間も作れるし稼げるフリーター&資産運用ライフですが、なぜあまり広まらないんでしょうか。

それはきっと、「サラリーマンの方が不安が少ない」と思う人が多いからでしょうね。

でもそれって、本当ですか?

確かに、皆が行く方向に行けば、同じ目的地にたどり着くでしょう。

ただ、それが最良の場所とは限らない。そう思いませんか。

だいたい、サラリーマンになるのが普通って、誰が決めたんですか。

僕は社会における暗黙の了解に従い続けることに、あまり魅力を感じません。

よく「似たような暮らしの中に、それぞれの幸せの形がある」と言いますよね。

きっとそれも真実です。ただ、他の人がやったこともないような人生には新しい幸せの形があると思います。

仕事やめたいとか、もっとやりたいことがあるなどと愚痴を吐きながら毎日働くくらいなら、自分で1から人生を構築する勇気を持ってみては?

やるもやらないもあなた次第で、常識とか、こうするべきだ、という考えは度外視してもいいことだと思いますよ。

雰囲気だけで人間関係の優位に立てる

タイトル見てもなんだそれって感じですよね。

例えば、体が大きくて、ゴチゴチした人と初めて話すときって、ちょっと探る感じでいきませんか?

その時、やっぱり自分は下手に出ているから、力関係は向こう優位になりやすいです。

それを、体が大きくなくても、特別な才能がなくても、こちらが上にできますよという話です。

だからこれは「自分を大きく見せよう」って回です。

じゃあどうすればいいんでしょう。

結論だけ言います。
「常に自分の土俵で戦うことを意識する。」です。

自分の持ち味を全面に出していけってことです。

面白いことが言えるなら、トークで優位に立っていく、みたいな。

そんな都合よく持ち味ないよって人もいるかもしれません。

そういう人は外見を磨けばいいんです。

ただ、とにかくかっこよくなれ、かわいくなれということじゃないです。

だってそんなの、限界がありますよね?

外見をブラッシュアップするときに心がけることは、「どんな人か馬鹿にでも分かるようにする」ことです。

結局人なんて、他人のことをそんなに見てません。

自分はおしゃれだと思う人がいたら、相手がおしゃれかどうかで値踏みをして、出方を変えてきます。

だからこそ、「個性が大事」なのです。

髪型、顔、服装でどれだけ自分が出せるか。

他人のことをあまり見ていない人でも、はっとしてしまうほどに、自分の個性を磨いていってください。

優位に立てと言ってきましたが、これは資本主義の世の中において割と重要な考えです。

勝つ人と負ける人の2択しかいない世界で、うまく立ち回っていくには優位に居続けることが大切です。

その際に「比べようのない自分だけのものさし」を大事にしていってください。

変な夢を見たときに思うこと

もしも睡眠中に、見たい夢を好きなだけ見られるとしたら、あなたはどうしますか?

世にも奇○な物語のような出だしです。

これって割と悩ましいテーマですよね。


夢を見ている間は理想の自分になれる。
ただ、目覚めたら昨日と全く変わらない自分がいる。

シンデレラの魔法が解けた後みたいなものです。
起きる度にあの切ない感じになるんですね。

寝ている時間は、自分の理想に向けて努力をすることができません。
でも、夢を見ている時間がとんでもなく楽しい。

次第に、あなたは選択を迫られるでしょう。


夢と現実、どちらを取るか。




つまりこの話題で問われているのはこんなことです。

「本物ではない幸せと、本物の幸せをこれから掴んでいくかもしれない自分の、どちらが欲しいか?」
ということです。


例えばあなたがプロのバンドマンになりたいとしましょう。

夢の中では有名なバンドでボーカルを努めています。そして現実では、安アパートでぎりぎりの生活をしながら、ライブハウスで歌っています。

生活ができる程度にアルバイトをして、他の時間は寝ていれば、プロのバンドマンになった夢をいくらでも見ていられる。

反対に、どんなにつらくても現実を見続けていれば、夢が叶うかもしれない。
有名にはなれなくても、バンドで生活していけるくらいにはファンができるかもしれない。

私たちは可能性の塊です。生きている間は、何にしても可能性はゼロではない。
ほとんど不可能なことも沢山ありますが。


可能性がゼロではない場合に、それに賭けるのか。それとも安全な方を取るのか。

あなたがどちらでいたいかということです。

そんなテーマを扱った、この、見たい夢を見られるとしたらという話は興味深いですよね。



そしてこの選択肢は、日常のあらゆるところに存在しています。

「やりたいことがある。でも、将来食べていけなくなるかもしれないこの道は諦めよう。」

「自分には、理想を叶えるだけの力はない」と悟った時に、人は諦めてしまいます。
それに加えて諦めてしまうタイミングがもうひとつあって、「リスクを背負いきれなくなった時」です。

でもこうして見ると、憧れを憧れで終わらせてしまうのは、いつも自分なんですね。


まあ、結局は自分次第ですよ、ってことなのかもしれません。
起きてやることもなくて、こんなことをうだうだと考えていました。

YouTubeを見るのを止めよう。

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皆さんも、YouTubeで動画をみますよね。
1日にだいたい何時間くらいみますか?

私はだいたい、5時間くらいみてしまいます。
やばいですよね。いくらひもでも、限度があるってものです。

ひもにだって、やらなければいけないことがあるんです。
ただごろごろしていたいひもがいれば、そうじゃないひももいます。

僕はどちらかと言うと後者です。
勉強したいことがあって、そのためのひもです。
まあクズには変わりないですが。

話がそれましたが、YouTubeをみている時間ってどう思います?
勉強目的で何かの教材を視聴している場合を除いて、無駄な時間を過ごしていますよね。
教材をみようとしてYouTubeを開いたのに、気付いたらゲーム実況を幾つも見ていたりしますし。

これって勿体ないなあと思いまして。
ある程度の休憩は必要ですが、度を過ぎれば意味がありません。

そもそも休憩は、それ自体には生産性はなくて、その後の作業の生産性を高めるためのものです。

だから、疲れていないのにみるYouTubeって時間を捨てているのと同じなんじゃないかなと思ったんです。
そんなことばかりしていたらいつまでたってもひもから抜け出せない。
私はこの女を、将来的には楽させてあげねばならない。

ということで、疲れてもいないときにYouTubeをみるのを禁止することにしました。

皆さん、私がYouTubeをみてだらだらしていたらひっぱたいてくださいね。

ギャルと知り合う方法。

こんばんは。
ブログに対する、モチベーションだけが高いので
雑談をしようと思います。
そうです、ネタがなくてやる気がある状態です。

まあそんなこんなで、今日話したいのは

「ギャルとの知り合い方」ですね。

ギャルって、彼女らにしかないエロさがあるじゃないですか。言葉にするのがすごく難しいですけど、たまにギャルでしか抜けない日がありませんか?そんな時に、「ギャルは一定数存在してなければいけない、尊い存在なんだなあ。」と思うものです。

前述の通り私はギャル大好き人間ですが、それでは、どうやって本物のギャルと関係を持てばいいのだろう?ということを、自分なりの解釈で説明することにしました。

これから書くことを心がけるだけで、闇の深い職についていなくても、襟足長い族でなくてもギャルと関わりを持てます。

①「陰キャというレッテルを貼られない程度の見た目にしよう」

陰キャ陽キャという考え方は、中学までで終わりだと言うのが大半の人の意見だとは思います。
しかし、ギャルというのはそこを気にする人がとても多いです。
なぜなら、ギャルといわれる人たちのほとんどが、
人生の素晴らしい時期を、中高で終えるからです。

学のない人間が社会に出ても、たいして幸福な人生はおくれません。よって、ギャルの人たちの「楽しかった時期」というのは、学生時代を指すことが多いです。

だから、彼女たちにとってスクールカーストは、何歳になっても、自分たちの価値を測る大事な指標という認識なのです。

ギャルと関わりたいのなら、彼女たちに「関わる価値のある奴」と思われねばならない、ということです。

②中学時代の友達にLINEを送ろう
①がオッケーだと思ったら、次にこれをしてみましょう。誰に送ればいいか?ということですが、
中学時代の、「やんちゃなグループに属していた女の子」が正解です。

中学校は、学力関係なく色々な人が一緒に通っていることがほとんどです。その中で地位が高かった子たちは、勉強は好きじゃなくて、でも容姿が整っていてちやほやされていた人じゃないでしょうか?

こういう人は実際とても狙い目です。

社会の厳しさを知って、ため息ばかりの毎日。そこで中学時代の知り合いであるあなたが登場してあげましょう。

目の前にある生活しか見られなかったギャルは、ふと楽しかった中学時代を思い出します。

そこで言うんです。
「あの頃は楽しかったよね。また会って話そうよ。」と。

ギャルにとっての楽しい思い出へと立ち返らせてくれる、きっかけのような人間になるのです。
もしあなたがその子とそこまで仲良くなかったとしても、辛い状況の中で声をかけられたのであれば、成功率は上がるものです。

③ギャルの知り合いのギャルを紹介してもらおう
類は友を呼ぶと言いますし、ギャルの友達はだいたいギャルです。このようにしてどんどん輪を広げましょう。

以上をまとめると、
1,そこそこの見た目にする
2,昔の知り合いに連絡
3,そこから輪を広げる

ってことです。ギャルに限らず、これは人脈を広げるときにとても役立ちます。


「あの頃はまだ自分も未熟で、憧れのあの子には近付けなかった。でも今なら、、、」
という気持ちがある場合、こういうことをしてみると、人生の幅は広がるかもしれませんよ。